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魚探の歴史

魚群探知機の歴史

  • 1913年、ドイツの物理学者、アレクサンダーベームが音響測深儀を開発して特許を取得した。
  • 1927から1930年にかけて木村喜之助が「音響装置ニヨル魚群検出法」というテーマで魚群探知機の実験を行った[5][6]。これは200kHzの超音波を用い、1kHzを重畳させて可聴音をヘッドホンで聴き、電磁オシログラフに撮影する方法であった。対象魚の数などを数えていた。
  • 1931年、国産の音響測深儀である九一式探信儀が日本電気により初めて開発された。
  • 1943年頃、後に古野電気を創業する古野清孝は船頭から「泡の出ているところには魚がたくさんいる」という話を聞き、1945年12月から科学的にその場所を特定して魚を探す方法の開発に取り組み始めた。泡は超音波を反射することが知られていたので超音波の使用を検討し、海軍からの放出物にあった音響測深機を取得し、約1年かけて実用的な魚群探知機を完成させた。
  • 1947年4月、最初の実験が長崎県の五島灘で行われた。まだ船の雑音が大きく影響していたが、魚群を探知できることを確認できた。実験を重ねることで漁獲高の向上につながった。
  • 1948年12月、古野清孝は古野清賢と合資会社古野電気工業所を設立し、魚群探知機を一台当たり60万円で本格的に販売開始した。世界初の実用的かつ量産された魚群探知機である。この時には魚種や魚群の大きさを識別できるようになっていたが、漁師たちはうまく活用できず、返品の山ができてしまった。魚群探知機を活用した漁の手法を考える必要があった。
  • 1948年、魚群探知機の使用普及がはじまった。
  • 1949年5月、五島列島岩瀬浦漁港の桝富丸の船主である桝田氏の協力を得て、魚群探知機の有用性を実証することとした。当時は桝富丸は漁獲高が漁港では最下位に低迷していたが、古野清賢が一時的に漁労長を務め、魚群探知機を活用することで3か月連続で岩瀬浦漁港でトップとなった。この成功により他の漁師にも認められ、搭載した船が大きく成果をあげることで市場で認知されるようになった。
  • 1950年、超音波の記録機を扱いやすくするため、故障しにくく安価なベルト式記録機構を開発・導入した。
  • 当初はまき網漁に活用されていたが、底引き網漁でも使えるよう、海底線を白抜きで描き海底付近の魚群を見つけやすくするホワイトライン機能を考案し、1956年に底引き網用の魚群探知機が発売された。
  • 1967年、下方向だけでなく、水平方向のより広範囲の探索をするサーチライトソナーを開発。ただし、ビームを回転させて探索しており、超音波が海中を伝わる速度は遅いのでやや時間がかかること、また走行しながら回転させて探知するので探索できない部分がある。
  • 1970年、振動子を水平・垂直方向に並べて周囲360度方向を瞬時に探知でき、水平方向の探知漏れが無いスキャニングソナーを生産開始。魚群を何度でも捉える他、その移動方向や速さを計算表示できるようになった。
  • 1990年代初頭にブラウン菅から液晶ディスプレイの表示装置に取って代わられ、魚探用の測深機はスポーツ市場に出回るようになった。
  • 今日では、趣味用に入手可能な多くの魚探には、カラー液晶画面、内蔵GPS、チャート機能があり、変換器が付属している。今日では、スポーツ用魚群探知機は、大型の船の航海用測深機にある永久記録機能だけは無いが、それは記録保存できるユビキタスが使用可能なハイエンドユニットで利用可能である。

    [wikipediaより]